人気女優である高畑充希さん。
数々のドラマやCMにも出演し、知名度を広めました。
さらに先日、岡田将生さんと結婚発表をして注目を集めました。
そんな高畑さん、親の会社は年商12億円の社長だと噂されています。
社長を父に持つ高畑さんの家族構成、そして生い立ちも気になるところですよね。
そこで今回は
- 高畑充希の親の会社は年商12億円の社長?
- 家族構成や生い立ち
について紹介します!
ぜひ目を通してくださいね!
高畑充希の親の会社は年商12億円の社長?
高畑充希さんの親の会社は年商12億円の社長であることが判明しました!
父親の名前は「高畑雅彦」さんで、年齢は非公開ですが、1945年から続く製造販売の老舗店舗を経営。
年商12億円の父の娘なので、お嬢様ですね!
これから父親について深堀りしていきますね。
父親の会社はどんな会社?
株式会社高畑は、1945年に祖父によって創立され、雅彦さんは2代目の社長として会社を引き継いでいます。
イスの資材や自転車のシート、インテリア関連の製品などを製造販売をしており、国内外にも広い事業を持っているため、年商12億円を誇る大企業です。
会社は先ほども紹介したように東大阪市に本社を置いています。
東京や九州にも営業所を置いており、さらにオーストラリアや中国、インドネシアに子会社を置くなど、海外にも展開されています。
また、父の雅彦さんは背が高く、イケメンで織田裕二さんに似ているそうです。
高畑充希さんも綺麗な顔立ちで顔面偏差値が高いですが、それは親譲りだったんですね!
父親の優しい一面
高畑さんの父は、実は料理上手なんです!
高畑さんが共演者の方を実家に招いた際、父が料理を振舞ってくれているそうです。
しかも父親自ら、ステーキを作るという太っ腹。
料理を振舞うだけでも十分なのに、ステーキを作るのは素敵すぎますね!
仕事は社長を務めるお偉いさんですが、プライベートではサービス精神も忘れないなら優しい父ですね。
高畑充希の家族構成や生い立ち
高畑さんの家族構成、幼少期から高校時代までの生い立ちを紹介していきますね。
家族構成は?
高畑さんは、父と母と本人の3人家族です!
両親ともに仲が良く、関係は良好だそうです。
父は先ほど紹介したように、東大阪で立ち上げた「株式会社高畑」の2代目社長。
母は美人な方で、舞台鑑賞が好きな専業主婦です。
とある大阪のイベントで母親と参加したときの写真を、インスタで投稿。
その際母の顔は加工で隠してますが、目元が高畑さんに似ていて美人っぽさがありました。
また、女優の高畑淳子さんが母なのでは?と勘違いされることが多いですが、実際は違います!
同じ苗字と女優ということで、やはり勘違いされる方が多いそうです。
また祖父母に関しては、祖父は地元では有名な地主で、現在は株式会社高畑の前身である「高畑商店」の会社名で創業していました。
父だけでなく、祖父もお偉いさんだったんですね!
高畑充希の生い立ち:幼少期
地元で有名の大地主の家系に生まれます。
7階建てのマンションに住んでいました。
マンション最上階で、なおかつそのマンションは家族が所有していたため、かなり裕福な家庭で育ちました。
一方でご飯は残さず食べるというルールがあり、現在でも常識マナーとして厳守しているそうです。
両親が舞台鑑賞が趣味であったため、高畑さんも一緒に鑑賞していた影響で5歳時に女優の道を志すようになります。
高畑充希の生い立ち:小学生時代
1998年4月、東大阪市立永和小学校に入学します。
生徒数が少なかったため、1年生から6年生時まで1クラスしかありませんでした。
そのため、男子とサッカーをすることが多かったそうです。
ただ高畑さん自身は元々おとなしい性格で、本を読むのが好きだったため、誕生日やクリスマスに図書券をもらってそれで本を買うのが楽しみだったといいます。
習い事については、習字とコーラス教室、進学塾に通っていました。
同時に演劇のオーディションに低学年時から応募していました。
しかし、残念ながらすべて落選という結果に終わりました。
8歳のときに見た舞台「奇跡の人」で大きな衝撃を受け、終わった後に座席から立てなくなったエピソードがあります。
そんな高畑さんの様子を見た母は、早稲田大学の演劇研究会を勧められ、名門校である四天王寺中学校を受験します。
猛勉強の末、見事受かりました。
高畑充希の生い立ち:中学生時代
2004年4月に「四天王寺中学校」に入学します。
勉強は嫌いで1つのことをコツコツと続けるのが苦手だと語る高畑さん。
しかし、中学2年生のときに舞台のオーディションに延べ9621人の応募者から、見事グランプリに選抜されました。
舞台主演に抜擢された高畑さんは、中学生にして女優の道を歩み始めたのです。
学校の勉強についていけなくなっていましたが、本人は当然のことと語り、気にしていなかったようです。
高畑充希の生い立ち:高校時代
2007年4月、芸能活動が認められている八雲学園高等学校に入学します。
芸能活動は順調でしたが、仕事による疲労がたまりやすかったため、学校では授業中に何度も居眠りをしてしまったそうです。
また我が強かった高畑さんは、校則は意味が分からないものとして、わざと短いスカートをはいて校則を破っていました。
先生にバレた際には3階までダッシュして逃げたエピソードも。
いわゆる反抗期というものですね(笑)
そんな高校生活でしたが、芸能活動に理解のある高校だったり生涯の親友にも知り合えたため、それが高校時代の大きな収穫だったと振り返っています。
仕事面では高校1年のときにミュージカル「ピーターパン」の主役に抜擢されました。
男の子のヒーローということで動きが激しかったため、10代の女子には大変な役だったそうです。
ピーターパンは毎年夏休みの期間中に公演されていたため、高校時代の3年間は夏休みがありませんでした。
ピーターパンに出演した同じ年に映画「ドルフィンブルーフジ、もういちど宙へ」で初のヒロイン役を演じ、コブクロの小渕健太郎さんがプロデュースを務める「みつき」の名義で歌手デビューも果たしました。
さらにはドラマ「3年B組金八先生」にも出演。
歌手の方は竹内まりやさんから「自分らしく歌う」というアドバイスを胸に取り組み、実際に高畑さんの歌唱力は高く評価されていました。
しかし、CDの売り上げは思いのほか伸びず、わずか1年半の歌手活動に幕を下ろしました。
ですが2014年にアルバム「PLAY LIST」をリリースして、歌手活動を再開。
やはり1年半で終わったのが本人も悔しかったのでしょう!
まとめ
今回は高畑充希さんの親の会社は年商12億円の社長か、生い立ちや家族構成について紹介しました。
- 高畑充希さんの親の会社は年商12億円の社長?
→東大阪市にて1945年に創立された「株式会社高畑」の社長 - 生い立ちや家族構成
→父と母の3人家族で、中学生で芸能界デビューする
年商12億円の社長を父に持ち、女優として知名度を上げ、さらに結婚もしてかなり恵まれていますね!
学校生活は少しやんちゃだったのが個人的にびっくりしました(笑)
思春期や芸能活動でのストレスも重なって、色々あったのでしょう。
紆余曲折ありながらも女優として、そして歌手としても成功しているので、応援したくなります!
結婚して活動にも一層力が入るかと思われるので、高畑さんの今後の活動に期待しましょう!
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